2019/02/19
1. Tense & Aspect
child(子ども)を悪いイメージでとらえるとchildish (子どもっぽい)となるが、
いいイメージでとらえると childlike (子どもらしい)となる。
イメージが変わるだけで、childはchildである。
今、ネイティブの英文法書だけをとりあげ、ネイティブの母語感覚をまとめたシリーズを出している。
1巻の『時制と相 (Tense & Aspect)』を執筆し刊行したが、アマゾンのレビューは星1つ(ある意味、目立つ)。
一方で、今年の4月からある大学のテキストに採用されることが決定。

酷評されようが評価されようが、『時制と相』の内容は変わらない。
周りが動いていると、自分が動いているように見える。
三味線の鶴澤寛治(人間国宝)は次のように言っている。
「浄瑠璃は富士山みたいなもんでな、見るお方によって感じ方も違うから。
絵でも、富士山を描けえ言うたら、写実に描くお方も水墨画で描かはるお方もおる。
だから、あんたはあんたの富士山を 描いたらええんや」
カッコよくまとめたが、要は「番宣(本の宣伝)」であった・・・
(書くの苦労したから、宣伝させて!)
ちなみに、「描く」と「書く」は「かく」という行為が同じでも「かくもの」が違う。
この点に関しては、また改めて取り上げることとする。
child(子ども)を悪いイメージでとらえるとchildish (子どもっぽい)となるが、
いいイメージでとらえると childlike (子どもらしい)となる。
イメージが変わるだけで、childはchildである。
今、ネイティブの英文法書だけをとりあげ、ネイティブの母語感覚をまとめたシリーズを出している。
1巻の『時制と相 (Tense & Aspect)』を執筆し刊行したが、アマゾンのレビューは星1つ(ある意味、目立つ)。
一方で、今年の4月からある大学のテキストに採用されることが決定。

酷評されようが評価されようが、『時制と相』の内容は変わらない。
周りが動いていると、自分が動いているように見える。
三味線の鶴澤寛治(人間国宝)は次のように言っている。
「浄瑠璃は富士山みたいなもんでな、見るお方によって感じ方も違うから。
絵でも、富士山を描けえ言うたら、写実に描くお方も水墨画で描かはるお方もおる。
だから、あんたはあんたの富士山を 描いたらええんや」
カッコよくまとめたが、要は「番宣(本の宣伝)」であった・・・
(書くの苦労したから、宣伝させて!)
ちなみに、「描く」と「書く」は「かく」という行為が同じでも「かくもの」が違う。
この点に関しては、また改めて取り上げることとする。
2019/02/19
どうして手を洗わないのか問題(ロペ問題)
1.Rope's Problem
何かを譬えを用いて表すことを「比喩 (metaphor)」という。
たとえば、「仲が悪い」ことを「犬猿の仲」といって、「犬」と「猿」を用いて表す。
(勝手に仲が悪いとレッテルを張られた犬と猿には、何とも迷惑な話であるが。)
この比喩は、日本語と英語で譬え方が違うことはよくある。
たとえば、上の例の「犬猿の仲」は英語ではto agree like cats and dogsという。
つまり、英語では「犬」と「猫」が仲が悪いとされる。
(どちらかというと、こっちの方がしっくりくるのは、自分だけだろうか・・・)
このように、言語間で比喩が異なるのはなぜかといういのも面白い謎である。
(「文化の違い」という「最終兵器」で片づけられそうだが・・・)
今回は日本語の比喩の謎を取り上げる。
悪いことを始めたことを「悪いことに手を染める」という。
一方、悪いことをやめることを「悪いことから足を洗う」という。
そこで、ロペ問題が起こる。

なぜ、「手を染めた」のに「足を洗う」のだろうか?
シャーロック・ホームズは、次のように言っている。
"It is a mistake to confound strangeness with mystery."
(不思議なことと、不可解なことを混同するのは誤りだ。)
「手始めに」手と足の関係から考えるのがいいだろう。
(to be continued)
1.Rope's Problem
何かを譬えを用いて表すことを「比喩 (metaphor)」という。
たとえば、「仲が悪い」ことを「犬猿の仲」といって、「犬」と「猿」を用いて表す。
(勝手に仲が悪いとレッテルを張られた犬と猿には、何とも迷惑な話であるが。)
この比喩は、日本語と英語で譬え方が違うことはよくある。
たとえば、上の例の「犬猿の仲」は英語ではto agree like cats and dogsという。
つまり、英語では「犬」と「猫」が仲が悪いとされる。
(どちらかというと、こっちの方がしっくりくるのは、自分だけだろうか・・・)
このように、言語間で比喩が異なるのはなぜかといういのも面白い謎である。
(「文化の違い」という「最終兵器」で片づけられそうだが・・・)
今回は日本語の比喩の謎を取り上げる。
悪いことを始めたことを「悪いことに手を染める」という。
一方、悪いことをやめることを「悪いことから足を洗う」という。
そこで、ロペ問題が起こる。
なぜ、「手を染めた」のに「足を洗う」のだろうか?
シャーロック・ホームズは、次のように言っている。
"It is a mistake to confound strangeness with mystery."
(不思議なことと、不可解なことを混同するのは誤りだ。)
「手始めに」手と足の関係から考えるのがいいだろう。
(to be continued)