The memoranda of Sukelock Holmes (No. 3)
2019/06/04
ルー大柴さんの「ルー語録」は面白い。

日本語の一部だけを英語に「直訳」するパターンであるが、その直訳された英語との「アンバランスさ」が面白さを出している。
自分のお気に入りは、これだ。

今回は、この「ルー語録」から、言葉における「人/モノ」と「場所」の関係を取り上げる。
3. Person/thing-place alternation
「ルー語録」は面白いだけでなく、「やわらかい言い方」にもなりうる。
たとえば、「『身を粉にして』頑張ってんだぞ」というと、自分の努力をアピールしている自慢気な感じになってしまうが、
「『身をパウダーにして』頑張ってんだぞ」というと、自慢気な感じがしないで自分の頑張りをアピールできる(かもしれない)。

また、人を叱る場合もダイレクトに「いい加減にしろ!」というよりも、
「いい加減にホワイト!」という方が、相手の気持ちも和らぎ、注意を聞こうと思ってもらえる(かもしれない)。

人は感情の生き物であるので、このような「ルー語録」を会話の「潤滑油」にしてみるのもありだろう。
ちなみに、「ルー語録」が載っているサイトはこちら ↓
https://iso-labo.com/labo/words_of_lou-Oshiba.html
独自の「ルー語録」を作るのも面白いし、「ルー語録」で単語を覚えるもの有意味学習になっていいだろう。
(有意味学習に関してはThe hound of the books & movies (Pun words)の「コメント」欄を参照)
≪覚え書きメモ≫
「直接性をぼかす」ことで言葉に「丁寧さ」が出ることはよくある。
・「誰 (ヒト)」の代わりに「どちら (トコロ=場所)」を使うと丁寧になる。
「誰ですか?」→「どちら様ですか?」(より丁寧)
・「それ (モノ)」の代わりに「そこ (トコロ=場所)」を使うとやんわり頼んでいる感じが出て、丁寧な依頼になる。
「それを何とかやって欲しい」→「そこを何とかやって欲しい」(より丁寧)

このような「ヒト/モノ」の場所化に関しては、日英語で面白い対比を見せる。
具体的にいうと、英語は「モノ」的な捉え方をするところで、日本語は「トコロ」的な捉え方をする。
(1) What is the next station? [英語:what =モノ]
(2) 次の駅はどこですか? [日本語:どこ=トコロ(場所)]
上の例にあるように、「次の駅」を尋ねる場合、英語はモノを尋ねる「what (何)」を使うが、日本語はトコロ (場所)を尋ねる「どこ」を使う。

もし、(1)でwhereを使うと、道に迷ってしまって「次の駅がどこかわからない」状況を表すことになる。

さらに、人を指す代名詞に関しても、日英語で違いがある。
(i) これはブラウン先生です。 [これ=モノ]
(ii) こちらはブラウン先生です。 [こちら=トコロ]
日本語ではヒトに対して(i)のようにモノを指す「これ」を使うのは失礼であり、トコロ(場所)を指す「こちら」を使う。
一方、英語のthisはヒトもモノも両方指せる。
(iii) This is Ms. Brown. [ヒト]
(iv) This is your desk. [モノ]

しかし、次の例では日英語ともにモノ的な捉え方が可能である。
(v) That is my father.
(vi) あれは私の父です。
この場合はトコロ(場所)を指す「あちら」を使うと不自然である。
(vii) あちらは私の父です。 [不自然]

なぜ、(i)は失礼なのに(vi)は失礼でないのだろうか?
このような言葉におけるヒトやモノの場所化は興味深いテーマである。

日本語の一部だけを英語に「直訳」するパターンであるが、その直訳された英語との「アンバランスさ」が面白さを出している。
自分のお気に入りは、これだ。

今回は、この「ルー語録」から、言葉における「人/モノ」と「場所」の関係を取り上げる。
3. Person/thing-place alternation
「ルー語録」は面白いだけでなく、「やわらかい言い方」にもなりうる。
たとえば、「『身を粉にして』頑張ってんだぞ」というと、自分の努力をアピールしている自慢気な感じになってしまうが、
「『身をパウダーにして』頑張ってんだぞ」というと、自慢気な感じがしないで自分の頑張りをアピールできる(かもしれない)。
また、人を叱る場合もダイレクトに「いい加減にしろ!」というよりも、
「いい加減にホワイト!」という方が、相手の気持ちも和らぎ、注意を聞こうと思ってもらえる(かもしれない)。
人は感情の生き物であるので、このような「ルー語録」を会話の「潤滑油」にしてみるのもありだろう。
ちなみに、「ルー語録」が載っているサイトはこちら ↓
https://iso-labo.com/labo/words_of_lou-Oshiba.html
独自の「ルー語録」を作るのも面白いし、「ルー語録」で単語を覚えるもの有意味学習になっていいだろう。
(有意味学習に関してはThe hound of the books & movies (Pun words)の「コメント」欄を参照)
≪覚え書きメモ≫
「直接性をぼかす」ことで言葉に「丁寧さ」が出ることはよくある。
・「誰 (ヒト)」の代わりに「どちら (トコロ=場所)」を使うと丁寧になる。
「誰ですか?」→「どちら様ですか?」(より丁寧)
・「それ (モノ)」の代わりに「そこ (トコロ=場所)」を使うとやんわり頼んでいる感じが出て、丁寧な依頼になる。
「それを何とかやって欲しい」→「そこを何とかやって欲しい」(より丁寧)

このような「ヒト/モノ」の場所化に関しては、日英語で面白い対比を見せる。
具体的にいうと、英語は「モノ」的な捉え方をするところで、日本語は「トコロ」的な捉え方をする。
(1) What is the next station? [英語:what =モノ]
(2) 次の駅はどこですか? [日本語:どこ=トコロ(場所)]
上の例にあるように、「次の駅」を尋ねる場合、英語はモノを尋ねる「what (何)」を使うが、日本語はトコロ (場所)を尋ねる「どこ」を使う。
もし、(1)でwhereを使うと、道に迷ってしまって「次の駅がどこかわからない」状況を表すことになる。
さらに、人を指す代名詞に関しても、日英語で違いがある。
(i) これはブラウン先生です。 [これ=モノ]
(ii) こちらはブラウン先生です。 [こちら=トコロ]
日本語ではヒトに対して(i)のようにモノを指す「これ」を使うのは失礼であり、トコロ(場所)を指す「こちら」を使う。
一方、英語のthisはヒトもモノも両方指せる。
(iii) This is Ms. Brown. [ヒト]
(iv) This is your desk. [モノ]
しかし、次の例では日英語ともにモノ的な捉え方が可能である。
(v) That is my father.
(vi) あれは私の父です。
この場合はトコロ(場所)を指す「あちら」を使うと不自然である。
(vii) あちらは私の父です。 [不自然]
なぜ、(i)は失礼なのに(vi)は失礼でないのだろうか?
このような言葉におけるヒトやモノの場所化は興味深いテーマである。