The hound of the books & movies (Haiku, Basho)
2019/10/16
ヘミングウェイは、たった6語の小説を書いている。
For sale: baby shoes, never worn.

赤ちゃんの誕生を心待ちにし、その思いがかなわなかった両親の悲しみ。
たった6語であるが、自然とストーリーが思い浮かぶ。
世界でもっとも短い小説である。
短い文で、「物語」を思い浮かばせる。
これは、まさに日本の「俳句」に通ずるものがある。
今回は、松尾芭蕉の有名な俳句の英訳についてみていく。
13. Matuo Basho: the old pond
日本の俳句は、今や世界的にも有名である。
実際、英語でも Haiku が作られていて、この ↓ ような本も出ている。

この本にあるHaiku作品を1つ紹介しよう。
(*第1回JALアメリカ ハイクコンテスト「大会グランプリ」作品)

この本では、日本の俳句をどう英訳するかも扱っている。
その中でも、とくに松尾芭蕉のこの ↓ 俳句の英訳が詳細に述べられている。

この俳句の英訳で「論争」になっているのが、これ ↓ である。
「蛙」はa frogかfrogs か?
単数と複数を形の上で区別する英語ならではの問題である。
以下、この「蛙単複」問題についてみていく。
① a frog解釈

上の英訳にあるように、あのドナルド・キーンさんも a frogで訳している。
(*ドナルド・キーンさんについては、The memoranda of Sukelock Holmes (No. 2)を参照)

多くの日本人も、一匹の蛙が池に飛び込んで静寂を破った一瞬を捉えていると解釈するのではと思うが、世代によってはそうではないようである。


つまり、「複数の蛙もあり」という解釈である。
次に、複数の蛙の英訳についてみていこう。
② frogs解釈
実は、この芭蕉の俳句には130以上の英訳が存在する。
その中でfrogsを使っているのは、たった2つである。
しかし、その一人が、日本研究家としても知られ、小泉八雲という日本語名までもつラフカディオ・ハーンなのである。

ラフカディオ・ハーンは東京帝国大学(現在の東京大学)でも教えていたが、大学を退職した後の後釜が、あの夏目漱石である。
ラフカディオ・ハーンがいかに優秀な人であったかがわかるだろう。

そのラフカディオ・ハーンがなぜfrogsと訳したのだろうか?
残念ながら、その理由を本人が述べていないが、この ↓ ように解釈されている。

面白いことに、アメリカの大学生はfrogsと考える人が多いよいうである。


A frogかfrogsか。
この一見「ささいな」問題に、文化的な捉え方が反映されていると思うと、言語の奥深さを感じる。
実は、もう1つ、英訳の可能性がある。
それは、無冠詞のfrogである。
③ frog解釈
この俳句のもっともシンプルな英訳は、ジェームズ・カーカップ (James Kirkup)の英訳である。

ここでは、frogが無冠詞で使われているが、無冠詞のfrogを使った英訳はほかにもある。

これらの英訳の解釈について、以下のような解説がされている。
(『日本語を翻訳するということ』 牧野成一 著 (中公新書)より)

つまり、無冠詞の場合、frogは具体的な「蛙」を表さず、俳句で描かれた場面と一体化した抽象的なものとして捉えられている。
個人的にも、この無冠詞の解釈はしっくりくる。
この俳句は、静寂を破る1つの音を強く印象付けている。
そして、その音を出したのが、池に飛び込んだ蛙である。
でも、芭蕉は本当に蛙を見たのだろうか?
池の近くにいて、「ポチャン」という音を聞いただけかもしれない。
そして、その静寂を破った音を「蛙」として表したとも考えられる。
つまり、「蛙」は静寂を破った音の代わりに使われているだけで、具体的な蛙を表していない。
よって、無冠詞のfrogとして表される。
このように、どう解釈するかによって、英訳の仕方も変わってくる。
みなさんは、どの解釈がお気に入りだろうか。ぜひ、考えてみてほしい。
なお、英語では名詞を無冠詞で使うと、具体的でなくなる。
そのため、以下のような意味の違いが出る。

面白いことに、同じような意味の違いが日本語の「学校に入る」と「入学する」でも出る。

上にあるように、「学校」と「入る」を合体させて「入学」という語ができるが、「入学」の場合「勉強する」という目的を表すようになる。
このような観点から、英語と日本語の名詞表現を見ていくのも面白いテーマである。
さらに考察を続けていくことにする。
(to be continued)
*****「補足資料」 ****
ヘミングウェイは「猫」を多くの作品に登場させているが、猫がタイトルになっている作品は Cat in the rain (『雨の中の猫』)だけである。

このタイトルでは、Catが無冠詞で使われていることから、このCatの解釈をめぐって多くの議論がなされている。

短い作品であるので、ぜひ、読んでみてCatが何を表しているかを考えてみてほしい。
Cat in the rainの本文と訳はこちら ↓
https://www.amazon.co.jp/clouddrive/share/QWufWhaKB5QNWZTJBvCo97kGrijfFAusazz9515m6Bc
For sale: baby shoes, never worn.
赤ちゃんの誕生を心待ちにし、その思いがかなわなかった両親の悲しみ。
たった6語であるが、自然とストーリーが思い浮かぶ。
世界でもっとも短い小説である。
短い文で、「物語」を思い浮かばせる。
これは、まさに日本の「俳句」に通ずるものがある。
今回は、松尾芭蕉の有名な俳句の英訳についてみていく。
13. Matuo Basho: the old pond
日本の俳句は、今や世界的にも有名である。
実際、英語でも Haiku が作られていて、この ↓ ような本も出ている。
この本にあるHaiku作品を1つ紹介しよう。
(*第1回JALアメリカ ハイクコンテスト「大会グランプリ」作品)
この本では、日本の俳句をどう英訳するかも扱っている。
その中でも、とくに松尾芭蕉のこの ↓ 俳句の英訳が詳細に述べられている。
この俳句の英訳で「論争」になっているのが、これ ↓ である。
「蛙」はa frogかfrogs か?
単数と複数を形の上で区別する英語ならではの問題である。
以下、この「蛙単複」問題についてみていく。
① a frog解釈

上の英訳にあるように、あのドナルド・キーンさんも a frogで訳している。
(*ドナルド・キーンさんについては、The memoranda of Sukelock Holmes (No. 2)を参照)
多くの日本人も、一匹の蛙が池に飛び込んで静寂を破った一瞬を捉えていると解釈するのではと思うが、世代によってはそうではないようである。

つまり、「複数の蛙もあり」という解釈である。
次に、複数の蛙の英訳についてみていこう。
② frogs解釈
実は、この芭蕉の俳句には130以上の英訳が存在する。
その中でfrogsを使っているのは、たった2つである。
しかし、その一人が、日本研究家としても知られ、小泉八雲という日本語名までもつラフカディオ・ハーンなのである。

ラフカディオ・ハーンは東京帝国大学(現在の東京大学)でも教えていたが、大学を退職した後の後釜が、あの夏目漱石である。
ラフカディオ・ハーンがいかに優秀な人であったかがわかるだろう。
そのラフカディオ・ハーンがなぜfrogsと訳したのだろうか?
残念ながら、その理由を本人が述べていないが、この ↓ ように解釈されている。

面白いことに、アメリカの大学生はfrogsと考える人が多いよいうである。

A frogかfrogsか。
この一見「ささいな」問題に、文化的な捉え方が反映されていると思うと、言語の奥深さを感じる。
実は、もう1つ、英訳の可能性がある。
それは、無冠詞のfrogである。
③ frog解釈
この俳句のもっともシンプルな英訳は、ジェームズ・カーカップ (James Kirkup)の英訳である。
ここでは、frogが無冠詞で使われているが、無冠詞のfrogを使った英訳はほかにもある。

これらの英訳の解釈について、以下のような解説がされている。
(『日本語を翻訳するということ』 牧野成一 著 (中公新書)より)
つまり、無冠詞の場合、frogは具体的な「蛙」を表さず、俳句で描かれた場面と一体化した抽象的なものとして捉えられている。
個人的にも、この無冠詞の解釈はしっくりくる。
この俳句は、静寂を破る1つの音を強く印象付けている。
そして、その音を出したのが、池に飛び込んだ蛙である。
でも、芭蕉は本当に蛙を見たのだろうか?
池の近くにいて、「ポチャン」という音を聞いただけかもしれない。
そして、その静寂を破った音を「蛙」として表したとも考えられる。
つまり、「蛙」は静寂を破った音の代わりに使われているだけで、具体的な蛙を表していない。
よって、無冠詞のfrogとして表される。
このように、どう解釈するかによって、英訳の仕方も変わってくる。
みなさんは、どの解釈がお気に入りだろうか。ぜひ、考えてみてほしい。
なお、英語では名詞を無冠詞で使うと、具体的でなくなる。
そのため、以下のような意味の違いが出る。

面白いことに、同じような意味の違いが日本語の「学校に入る」と「入学する」でも出る。
上にあるように、「学校」と「入る」を合体させて「入学」という語ができるが、「入学」の場合「勉強する」という目的を表すようになる。
このような観点から、英語と日本語の名詞表現を見ていくのも面白いテーマである。
さらに考察を続けていくことにする。
(to be continued)
*****「補足資料」 ****
ヘミングウェイは「猫」を多くの作品に登場させているが、猫がタイトルになっている作品は Cat in the rain (『雨の中の猫』)だけである。
このタイトルでは、Catが無冠詞で使われていることから、このCatの解釈をめぐって多くの議論がなされている。
短い作品であるので、ぜひ、読んでみてCatが何を表しているかを考えてみてほしい。
Cat in the rainの本文と訳はこちら ↓
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