2019/10/23
次のなぞなぞは、オランダのなぞなぞである。
(『つい話したくなる世界のなぞなぞ』のり・たまみ著 より)

このなぞなぞにはコップの大きさは関係ない。
ポイントは「空(から)のコップ」ということである。

なるほど!である。
しかし、言葉にはこのような厳密さがなく、非常に柔軟である。
というのも、次のような言い方が可能であるからだ。
「空のコップが水でいっぱいになった」
ここでは、水がいっぱい入るまで「空のコップ」とみなしている。
このような柔軟さによって、1つの単語が複数の意味をもつことも可能になる。
今回は、多義語 (polysemy)についてみていく。
8. Polysemy or not

複数の意味をもつ単語では、「連想ゲーム」のようなことが起こっている場合が多い。
たとえば、handには以下のような意味がある。

handの場合、「連想ゲーム」が比較的簡単である。
(『英単語の世界:多義語と意味変化から見る』寺澤盾 著 より)

ちなみに、handとbananaの関係は密接である。
(『英語語源辞典』宮本倫好 著 より)

しかし、「連想ゲーム」が難しい単語もある。
それが、よく「同音異義語」として例に出されるbankである。

確かに、「銀行」と「土手」は関連がない。
しかし、両者は同じ語源をもつ。
(『語はなぜ多義になるのか-コンテキストの作用を考える-』中野弘三 (編集) より)

つまり、今ではその関連性が分からなくなったパターンである。
そして、「銀行」も「土手」ももとはbankの語源から派生している意味なので、bankは同音異義語ではない。
実は、このパターンには「それはないだろ!」と、つっこみたくなるものも多い。
たとえば、secondである。

確かに、「2番目」と「秒」は関連がない。
しかし、この2つは関連している。
(『英語の語源のはなし』佐久間治 著 より)

つまり、もともと「秒」という単位がなかったため、「分」という単位をもとにして、次のように言っていた。
second minute = 分の2番目の単位(=秒)
それが、言語の「経済性」が働き、最初の語 (=second) だけを言うようになったため、
本来、「秒」とは無縁のsecondに白羽の矢が立ったというストーリーである。
ここまでくると、もう連想しようがないが、second minuteで「秒」を表していたため全くの無関係でもない。
以上のことをまとめると、多義語では「連想ゲーム」という意味拡張が起こっていることになる。
そして、この意味拡張には連想が簡単なものと連想が難しいものの2つのパターンがある。

上であげた単語は、もとの意味から複数の意味ができただけなので、同音意義語とは区別される。
同音異義語の場合は、意味がそもそも関連していないし、語源的にも異なる。
たとえば、airがあげられる。

この場合、違う意味を表す単語がたまたま音が同じになっただけである。

このairのような単語を同音異義という。
しかし、同音異義語の中には、少し複雑なものがある。
それは、意味的に似ているのに、関連していない語である。
たとえば、earがある。

上にあるように、「耳」を表すearと「穂」を表すearは語源も違う別の語であるが、
2つは形や性質が似ているから心理的に同じものと思ってしまう。
これを「心理的関連性」というが、要は比喩(メタファー)的な連想が可能であるため、多義語と捉えてしまうパターンである(このパターンは比較的少ない「特殊」な例である)。

語の多義性は面白いテーマであり、さらに追及する価値がある。
≪補足:水滴の量≫
冒頭のオランダのなぞなぞは水滴に関するものであったが、「水の1滴」の量は基本的に約0.05ccである。
つまり、20滴集まって、やっと1ccとなる。

よって、500ccのペットボトルを飲んだとしたら、1万滴の水を飲んだことになる(500×20 = 10,000滴)。

この1cc=約20滴を覚えておくと、便利である。

目薬などを買う際に、イメージがわくだろう。
(『つい話したくなる世界のなぞなぞ』のり・たまみ著 より)
このなぞなぞにはコップの大きさは関係ない。
ポイントは「空(から)のコップ」ということである。
なるほど!である。
しかし、言葉にはこのような厳密さがなく、非常に柔軟である。
というのも、次のような言い方が可能であるからだ。
「空のコップが水でいっぱいになった」
ここでは、水がいっぱい入るまで「空のコップ」とみなしている。
このような柔軟さによって、1つの単語が複数の意味をもつことも可能になる。
今回は、多義語 (polysemy)についてみていく。
8. Polysemy or not
複数の意味をもつ単語では、「連想ゲーム」のようなことが起こっている場合が多い。
たとえば、handには以下のような意味がある。
handの場合、「連想ゲーム」が比較的簡単である。
(『英単語の世界:多義語と意味変化から見る』寺澤盾 著 より)
ちなみに、handとbananaの関係は密接である。
(『英語語源辞典』宮本倫好 著 より)
しかし、「連想ゲーム」が難しい単語もある。
それが、よく「同音異義語」として例に出されるbankである。
確かに、「銀行」と「土手」は関連がない。
しかし、両者は同じ語源をもつ。
(『語はなぜ多義になるのか-コンテキストの作用を考える-』中野弘三 (編集) より)
つまり、今ではその関連性が分からなくなったパターンである。
そして、「銀行」も「土手」ももとはbankの語源から派生している意味なので、bankは同音異義語ではない。
実は、このパターンには「それはないだろ!」と、つっこみたくなるものも多い。
たとえば、secondである。
確かに、「2番目」と「秒」は関連がない。
しかし、この2つは関連している。
(『英語の語源のはなし』佐久間治 著 より)

つまり、もともと「秒」という単位がなかったため、「分」という単位をもとにして、次のように言っていた。
second minute = 分の2番目の単位(=秒)
それが、言語の「経済性」が働き、最初の語 (=second) だけを言うようになったため、
本来、「秒」とは無縁のsecondに白羽の矢が立ったというストーリーである。
ここまでくると、もう連想しようがないが、second minuteで「秒」を表していたため全くの無関係でもない。
以上のことをまとめると、多義語では「連想ゲーム」という意味拡張が起こっていることになる。
そして、この意味拡張には連想が簡単なものと連想が難しいものの2つのパターンがある。
上であげた単語は、もとの意味から複数の意味ができただけなので、同音意義語とは区別される。
同音異義語の場合は、意味がそもそも関連していないし、語源的にも異なる。
たとえば、airがあげられる。
この場合、違う意味を表す単語がたまたま音が同じになっただけである。
このairのような単語を同音異義という。
しかし、同音異義語の中には、少し複雑なものがある。
それは、意味的に似ているのに、関連していない語である。
たとえば、earがある。
上にあるように、「耳」を表すearと「穂」を表すearは語源も違う別の語であるが、
2つは形や性質が似ているから心理的に同じものと思ってしまう。
これを「心理的関連性」というが、要は比喩(メタファー)的な連想が可能であるため、多義語と捉えてしまうパターンである(このパターンは比較的少ない「特殊」な例である)。
語の多義性は面白いテーマであり、さらに追及する価値がある。
≪補足:水滴の量≫
冒頭のオランダのなぞなぞは水滴に関するものであったが、「水の1滴」の量は基本的に約0.05ccである。
つまり、20滴集まって、やっと1ccとなる。
よって、500ccのペットボトルを飲んだとしたら、1万滴の水を飲んだことになる(500×20 = 10,000滴)。
この1cc=約20滴を覚えておくと、便利である。
目薬などを買う際に、イメージがわくだろう。